立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方」を読んだ。著者の立石さんの息子は、僕の息子よりも重度な発達障害を抱えているようだ。たとえば「掃除機、ドライヤー、洗濯機などの音でパニックになる」とか「電車では決まった車両にしか乗れない」などは我が子にはあてはまらない。我が子がそうだったらと思うと、うーん…大変だ。

立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方

実は、息子のことを「自閉傾向がある」と思っているものの、これを口にすることはやめようと考えていた。口にすることで我が子を色眼鏡で見てしまいそうだからである。うっかり人前で口にしてしまえば、その人にも要らぬ先入観を与えてしまうだろう。

本書の主張は反対で「子が発達障害であることは積極的にカミングアウトするべき」としている。障害を知ってもらうことで他者からのサポートを期待できるからである。一理あるようにも思う。

さらに「障害の程度が軽い人ほど、我が子を健常者に近づけたがるため二次障害になりやすい」とも主張している。二次障害の定義について、次のようにある。

「二次障害」は、本人にとって不適切な環境にさらされたことに対するストレス反応です。先天的に脳にあった一次的な障害に対して、二次的に発生してしまったもので、元々、防ぐことができたはずのものです。不登校、鬱、家庭内暴力、自殺、他害 (反社会的行動・犯罪) など後天的に起こります。

当然、僕も息子を二次障害の憂き目に合わせたくはない。

しかし、この主張は「発達障害は先天的な病気であり治療方法はない」という前提に成り立っている。本書でもそう主張されている。本当だろうか。

愛知教育大学が公開している PDF には次のようにある。

発達障害は、先天的あるいは後天的な疾患や事故による脳機能の障害から引き起こされる発達の遅れを指します。…(略)…。なぜ脳機能の障害が起きるのか、脳のどの部分の障害がどのような特徴を生じるのかなど、メカニズムについては未だ分かっていません。

つまり、何がトリガーになっているのか、よく分からないのである。もちろん、我が子を健常者に近づけようとするあまり、過剰なストレスにさらしたくはない。一方、健常者に近づいてほしいという気持ちはあり、訓練や栄養面の工夫で改善するのであれば改善したいと思っている。

発達障害の治療については様々な見解があり、一橋大学の資料は少し消極的に「生まれながらの特徴であるため、完治を目指すのではなく、コントロールを目指す」ものとしている。一方、厚生労働省の資料はポジティブで「もちろん個人差はありますが、“障害だから治らない” という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます」と書いている。個人的には後者を支持したい。息子の成長を可能な限り後押ししたい。

本書で面白いと思ったのは、発達障害を持つ子の保育園や学校選びについてである。「自由でのびのびやれる環境」が必ずしもよいわけではない、と著者は主張している。その根拠は次の通りだ。

自閉症の子の障害特性のひとつとして、制限のない自由時間が苦手だったりします。

ですから、「1日中、好きなことして自由にしていていいんだよ」とか「自由な時間のなかで友達と交わりなさい」と言われると、何をしていいのかわからず、息子はきっと困ってしまうと思いました。

これは我が子にも当てはまりそうである。息子はひとつのことに没頭すれば、それに対して無限に時間を使えるものの、自由な環境にパッと放り出されても「没頭する対象」を見つけられるか怪しいと思った。

また、本書で愛のワッペンなるものが存在することを知った。これは、ワッペンのついた子が発達障害であることを周囲に知らせるためのものである。「ちょっと変な行動をしてしまうかもしれないけど、障害によるものなので大目に見てね」というものだ。有用そうだ。今後は「愛のワッペン」を見かけたら、気に留めようと思う。