『ご冗談でしょう,ファインマンさん』を読んだ。
実はこの本を通して読むのは初めてである。名著と名高い本なので、過去にも手に取ったことがあるけど、途中で挫折していた。当時は著者のファインマン先生の実験内容が文章から想像しづらく、内容に没頭できなかったからである。
今回も、彼が行った実験を「よく分からない」と思うことはあったけど、目をつぶって読み進めた。そのような雑な読み方であっても、影響を多く受ける内容であった。
とりわけ感銘を受けたのは「社会的に役に立つ仕事」を追求することでスランプになった彼のエピソードである。
前にはあんなに物理をやるのが楽しかったというのに、今はいささか食傷気味だ。なぜ昔は楽しめたのだろう? そうだ、以前は僕は物理で遊んだのだった。いつもやりたいと思ったことをやったまでで、それが核物理の発展のために重要であろうがなかろうが、そんなことは知ったことではなかった。ただ僕が面白く遊べるかどうかが決めてだったのだ。
この気づきから、悟りを開くことができたという旨の記述がある。
また、このエピソードの続きには、大学のカフェテリアでふざけて皿投げをして遊んでいる様子を観察しながら、皿の運動について計算し、それが結果としてノーベル賞に結びついたという話がある。
結局のところ「意義があるかどうか」などとしみったれたことを考えず、自分の興味を追い続けることこそがブレイクスルーにつながるのだと思わせられる、良い話であった。