【読書メモ】食事でよくなる!子供の発達障害

食事でよくなる! 子供の発達障害』という本を読んだ。

食事でよくなる! 子供の発達障害

正直なところ「うっ」となるタイトルである。発達障害は先天的な病気であり、症状を緩和することはできても治療をすることは難しいというのが定説だからである。仕事柄、医学や健康に関するトンデモ情報はよく見てきたし、なんならトンデモ情報をこの世から駆逐することが仕事の一部でもある。妻の勧めがなければ手に取ることもなかっただろう。

しかし、結論から先に言うと、この本を読んでよかったと思う。

先に不満から書きたい。率直に言うと、記述にエビデンスがないものが多く、その点が不満であった。例えば、第三章に次のような記述がある。

まず、極力さけるべき脂質は、サラダ油に代表される植物油、市販のドレッシングなどに使われている油、マーガリンやショートニングなどのトランス脂肪酸です。これらは高温処理された油で、製造過程で悪性物質が発生するといわれています。そのため、藤川先生はこれらを「狂った油」と呼んでいます。

このように「悪性物質が発生するといわれています」と書かれると「誰に言われているの?」と思ってしまう。「著者の思い込みである可能性は?」「“悪性"の定義とは?」と。

少し気になって監修者である藤川先生のブログ記事を読んでみたのだが、数字や定義を軸とするアカデミックな考え方とは相容れない指向性を持つ方のようであった。いくつか例を挙げよう。

タイトルからして分かりあえなそうだ。中身を引用してみよう。

医師頭 (石頭);

エビデンスがないので自分は絶対に認めない。自分の目で確認するより、エビデンスの有無の方が重要だ。

普通;

患者が治ったという事実が最高レベルのエビデンスのはず。アンタと話をしても時間のムダ、自分で治しますよ。

ご自身が「普通」であり、一般的な医師を「石頭」と表現した上での記述である。居丈高である。

話をもどして、この本を読んで「よかった」と思うところを取り上げよう。

第四章の「子供の発達障害を食事で改善させた体験者の手記」に出てくる子どもたちの事例が、我が子にそっくりなのだ。彼ら彼女らが、糖質を抑えてタンパク質の多い食事に変えて発達障害を克服できた (もしくは緩和できた) という報告があるのは、わたしたちの子育てにおいて何かのヒントになりそうだと思えた。

実は、わたしより先に妻がこの本を読んでおり、内容の一部を息子に実践していた。結果として、息子の食事 (離乳食) は肉が多く、代わりにご飯はずっと少なくなっている。わたしは「意味があるのだろうか?」と訝しんでいたものであったが、たしかに最近は息子の自閉症らしさは軽減してきたように感じる。たとえば「人と目を合わせて話す」ことができるようになったし、おもちゃで遊びながら癇癪を起こすことも減った。食事以外に何かを大きく変えていないので、息子の変化は肉を中心とした食生活に移行したことによるものだと思う。

その点で、この本を読むことができてよかったと思う。

『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』

なお、食事に関してわたしが最も気に入っている本は『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』である。この本の導入部には「一個人の経験談よりエビデンスが大事」とある。少し引用してみよう。

食事と健康をめぐる議論は、個人の経験にもとづくものになりやすい。しかし、残念ながら個人の経験にもとづく健康情報は、その人にとってはうまくいったかもしれないが、他の人にもうまくいく(健康になれる)とは限らない。その一方で、エビデンス(科学的根拠のこと)にもとづく健康情報を実践した場合、圧倒的多数の人を対象にした客観的な研究から導き出したものであるため、一個人の経験談に比べて、あなたがより健康で長生きできる確率は格段に高くなると考えられる。それが、「科学的根拠にもとづいた」健康的な食事法を日々の生活に取り入れる大きなメリットである。

世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事

藤川先生のブログ記事とは真っ向対立するが、わたしはこちらの方を支持する。

なお、「医師頭(石頭)の考え方Vs.普通の考え方」には次のような記述もある。

普通に考えると、治った症例と同じ治療をすれば治る確率が一番高いのではないか。そもそも、両群間で圧倒的な治療成績の差がある治療方法をRCT (二重盲検試験) するなんて非人道的で馬鹿げている。自分は、プラセボグループには死んでも入りたくない。

この考え方は極端だ。

『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』では、エビデンスの強さをレベル分けして考えている。「観察研究」は「ランダム化比較試験」よりもエビデンスレベルは低いものの、前者を 無意味 と切り捨ててはいない。前者はプラセボグループを作る必要はないし、「鉄とタンパク質」を積極的に取る人たちが発達障害を好転させられる傾向が認められれば、それはそれでエビデンスになるだろう。

【読書メモ】立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方

立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方」を読んだ。著者の立石さんの息子は、僕の息子よりも重度な発達障害を抱えているようだ。たとえば「掃除機、ドライヤー、洗濯機などの音でパニックになる」とか「電車では決まった車両にしか乗れない」などは我が子にはあてはまらない。我が子がそうだったらと思うと、うーん…大変だ。

立石流 子どもも親も幸せになる 発達障害の子の育て方

実は、息子のことを「自閉傾向がある」と思っているものの、これを口にすることはやめようと考えていた。口にすることで我が子を色眼鏡で見てしまいそうだからである。うっかり人前で口にしてしまえば、その人にも要らぬ先入観を与えてしまうだろう。

本書の主張は反対で「子が発達障害であることは積極的にカミングアウトするべき」としている。障害を知ってもらうことで他者からのサポートを期待できるからである。一理あるようにも思う。

さらに「障害の程度が軽い人ほど、我が子を健常者に近づけたがるため二次障害になりやすい」とも主張している。二次障害の定義について、次のようにある。

「二次障害」は、本人にとって不適切な環境にさらされたことに対するストレス反応です。先天的に脳にあった一次的な障害に対して、二次的に発生してしまったもので、元々、防ぐことができたはずのものです。不登校、鬱、家庭内暴力、自殺、他害 (反社会的行動・犯罪) など後天的に起こります。

当然、僕も息子を二次障害の憂き目に合わせたくはない。

しかし、この主張は「発達障害は先天的な病気であり治療方法はない」という前提に成り立っている。本書でもそう主張されている。本当だろうか。

愛知教育大学が公開している PDF には次のようにある。

発達障害は、先天的あるいは後天的な疾患や事故による脳機能の障害から引き起こされる発達の遅れを指します。…(略)…。なぜ脳機能の障害が起きるのか、脳のどの部分の障害がどのような特徴を生じるのかなど、メカニズムについては未だ分かっていません。

つまり、何がトリガーになっているのか、よく分からないのである。もちろん、我が子を健常者に近づけようとするあまり、過剰なストレスにさらしたくはない。一方、健常者に近づいてほしいという気持ちはあり、訓練や栄養面の工夫で改善するのであれば改善したいと思っている。

発達障害の治療については様々な見解があり、一橋大学の資料は少し消極的に「生まれながらの特徴であるため、完治を目指すのではなく、コントロールを目指す」ものとしている。一方、厚生労働省の資料はポジティブで「もちろん個人差はありますが、“障害だから治らない” という先入観は、成長の可能性を狭めてしまいます」と書いている。個人的には後者を支持したい。息子の成長を可能な限り後押ししたい。

本書で面白いと思ったのは、発達障害を持つ子の保育園や学校選びについてである。「自由でのびのびやれる環境」が必ずしもよいわけではない、と著者は主張している。その根拠は次の通りだ。

自閉症の子の障害特性のひとつとして、制限のない自由時間が苦手だったりします。

ですから、「1日中、好きなことして自由にしていていいんだよ」とか「自由な時間のなかで友達と交わりなさい」と言われると、何をしていいのかわからず、息子はきっと困ってしまうと思いました。

これは我が子にも当てはまりそうである。息子はひとつのことに没頭すれば、それに対して無限に時間を使えるものの、自由な環境にパッと放り出されても「没頭する対象」を見つけられるか怪しいと思った。

また、本書で愛のワッペンなるものが存在することを知った。これは、ワッペンのついた子が発達障害であることを周囲に知らせるためのものである。「ちょっと変な行動をしてしまうかもしれないけど、障害によるものなので大目に見てね」というものだ。有用そうだ。今後は「愛のワッペン」を見かけたら、気に留めようと思う。

【読書メモ】発達がわかれば子どもが見える―0歳から就学までの目からウロコの保育実践

発達がわかれば子どもが見える―0歳から就学までの目からウロコの保育実践」の読書記録として記事を書いています。

発達がわかれば子どもが見える―0歳から就学までの目からウロコの保育実践

はじめに

「発達がわかれば子どもが見える―0歳から就学までの目からウロコの保育実践」は保育者向けの本であり、保護者向けの本ではありません。

やや自閉傾向のある息子の保護者としては「本書の内容を鵜呑みにはできないな」というのが第一印象です。たとえば「使える言葉が2歳ごろには300語前後、2歳半ばには500語、3歳には1000語になり、意味のとりにくい言い回しが減ってきます」という記述があるものの、すでに2歳を超えている息子は一語も発しません。読者は自身の子どもと「一般的な子ども」との差分について意識した上で読むべきだと思います。

以下、各成長段階における特筆事項を箇条書きでまとめています。

自我の拡大から充実へ: 2歳~3歳

  • 乳歯20本が揃い、咬合が完成する
  • 腸管が加速的発育期をむかえ、腎臓の構造ができてきて体内の水分バランスや電解質の成分バランスなどの調整機能が進み、膀胱の容量も増える
  • 膀胱や肛門の括約筋など大脳皮質の制御が進み、排泄の自立が進む
  • 自己の免疫機能が増し、自律神経系の成熟において副交感神経に対して交感神経の優位が確立してくる
    • 2歳~10歳頃にかけてストレス的暗示を受けると自律神経失調症などが起こりやすい

自励心、自制心が育つ: 3歳~4歳6ヶ月

  • 大脳の左右両半球の神経ネットワークの構築が進む
    • 4歳過ぎには利き手 / 利き足が決まってくる
  • 発汗量が増え、体温の日内変動がはっきりしてくる
  • 視力が 1.0 前後になり、遠近の区別もしっかりする
  • 聴力が青年並みになり、メロディの記憶ができる
  • 匂いの嗅ぎ分けや味の違いがわかってくる

真ん中の発見: 5歳~5歳10ヶ月

特筆事項なし。

認め合い、育ち合う: 5歳10ヶ月~7歳

  • 嗅覚の鋭敏さは6歳で最高値に達する (注意: こちらの研究結果とは矛盾するようである)
  • 昼寝を必要としなくなり、おねしょも減ったりなくなったりする
  • 乳歯の脱落が始まり、第二生歯期に向かう

【書評】自閉症・発達障害を疑われたとき・疑ったとき

この記事は『自閉症・発達障害を疑われたとき・疑ったとき』の書評です。

自閉症・発達障害を疑われたとき・疑ったとき

何を期待してこの本を読んだのか?

まだ幼い息子が一般的でない育ち方をしており、どうすれば彼の人生が良いものになるのか知りたくて手にとりました。息子には次のような特徴があります。

  • 2才を超えても一語も発しない (「パパ」「ママ」とすら言わない)
  • 呼びかけに応えない
  • 指差しではなく、親の手を動かすことで意思を伝える (いわゆる「クレーン現象」)
  • よく泣く (たとえば保育園のお遊戯会などで歌がやむと泣く)

一方で、知的な問題を抱えているようには思えません。たとえば子ども向けの辞典を開いて「X はどれ?」と聞くと、それを指差すことができます。このことから、言葉は発しないものの耳は聞こえていることがわかります。

これらを総合して「我が子には自閉傾向があるのかもしれない」と思い、この本を読みました。

期待に応える本であったのか?

医療に関わる本は批判的に読むことが重要だと考えています。医学は再現性の低い事象を扱う学問だし、根拠のないカルトのような情報も多いからです。

本書の第一章には次のような節があります。

情報は藁にもすがって見るのではなく、批判的、客観的に見ることが大切です。

薬が効いたという話だけが強調され、「効かなかったという話はない」場合は要注意です。どんな薬でも効く場合もあれば効かない場合もあり、副作用のために中断せざるを得ないこともあります。どんな治療でも「100パーセント」有効ということはまずありません。 ですから効いたということだけを宣伝している情報は、とくに体の負担になるような処置や検査をする場合には、保険外診療、保険診療にかかわらず要注意です。

著者のスタンスはわたしには望ましく思えるものです。この本ではエビデンスレベルの高い情報と著者の意見は分けて書かれています (「エビデンスレベルとはそもそも何か」という記述も本書に含まれています)。

あえて不満をあげれば、巻末リファレンスが書籍のみであるところが気になりました。エビデンスレベルの高いものについては、論文そのものも載せておいてもらえればと思いましたが、一般書にそのようなニーズはほとんどないのかもしれません。

参考になった内容

「ほめる」や「目を合わせる」などベーシックなところをのぞいて、次のようなところが参考になりました。

親が主導権を持ちながらも、子どもに「自己決定」させる

たとえば、食事のときに「準備ができたからご飯を食べなさい」ではなく、「おなかが空いていたらご飯を食べる?」「うん」「じゃあ食べよう」のように会話を進めます。

別な例では、遊び食べに対して「さっさと食べないと片付けるよ」ではなく、「もっと食べる人?」に「はい」と返事をさせたうえで「食べようね」とする方がうまくいくともありました。

指差しの練習

前述の通り、息子は指差しができません。しかし「指差し」も練習できるとのこと。子どもの手を取って人差し指を開き、指差しを補助する方法などがあるそうです。

補充代替療法 (CAM)

このような記述があります。

ASD においても実にさまざまな CAM (Complementary and Alternative Medicine: 補充代替療法) が提唱されています。共通する問題点は、成功例は紹介するが失敗例の報告はないことと、明らかなエビデンスを持った論文がないことです。

また医療であれば何を目標に行うか、という前提がありますが、CAM の場合にはそれも漠然としています。なかなか改善しない状況に藁をもつかみたい保護者の気持ちがわからないわけではありませんが、いわば障害ビジネスではないかと考えられるものも残念ながらあります。

これに続いて、「サプリメント、ビタミン」「除去食」「キレート療法 (キレート剤を水銀などの金属と結合させて体外に排出しようとする治療法)」のすべてについて、根拠が乏しいと結論づけています。「有効性が確立している…はありません」などのように書かれており、真摯な印象を受けました。

小学校における「通常学級」と「特別支援学級」

そもそも ASD であることを学校に告げるかどうか、そのメリット・デメリットについての記述があります。学校に話すことで、なかば脅迫のように「問題があるから相談に来たのですよね?」などと言われるケースがあることも紹介されています。

また、特別支援学級からはじめても「伸びたら通常学級に替わることができますよ」と教育委員会で言われることがあるそうです。これについては「過去5年間で実際に何人が替わったか?」と聞いてみることが勧められています。特別支援学級から通常学級に替わるのは実際にはかなりハードルが高いことのようです。

おわりに

息子の発育は遅れているけれど「いつかは人並みになるだろう」と楽観的に考えていました。しかし、本書を手にとって「やるべきことはたくさんある」と認識を改めました。また「小学校入学などのイベントをひかえて、悩ましいことがたくさんある」とも思いました。

自閉症や発達障害については調べ始めたばかりなので、より多角的に情報を仕入れて知見を深めていきたいと思います。

【読書メモ】エンジニアの知的生産術 ―効率的に学び、整理し、アウトプットする

この記事は『エンジニアの知的生産術 ―効率的に学び、整理し、アウトプットする』の感想文です。

エンジニアの知的生産術 ―効率的に学び、整理し、アウトプットする

何を期待してこの本を読んだのか?

タイトルの通り、ソフトウェアエンジニアとしての生産性を高める術はないものかと思い、本書を手に取りました。著者の西尾さんの文章をウェブでよく拝見しており、学ぶことが多かったので期待値は高めでした。

期待に応える本であったのか?

「期待に応える本であったのか?」という問いに対する短い返答は「いいえ」です。この本を読むことで、僕の知的生産性が高まったかといえば、そんなことはないと思います。一方で「この本を読むことは時間の無駄であったか?」と問われれば、それも「いいえ」です。

この本が参照している『難解な本を読む技術』には「開いている本」と「閉じている本」という概念が登場するそうです。

開いている本は、読者が自分で考えることを期待して、著者が自分の意見を言っていない本です。閉じている本は、著者が自分の結論を持っており、そこへ向けて論を進める本です。 世の中の多くの本が閉じているのに対して、哲学書には開いている本が比較的たくさんあります。本書『エンジニアの知的生産術』は、私が「情報収集・モデル化・応用」のサイクルなどいくつかの結論を持っていて、それを構築していっているという点では「閉じている本」です。しかし、その私の結論の1つが「具体的にどういう方法でやるかは読者の置かれた状況によって決まるので、読者は自分でそれを構築しなければならない」なので、具体的な方法論に関してはかなり「開いている本」の立場をとっています。

確かに『エンジニアの知的生産術』はかなり「開いている本」です。

たとえば、本の読み方について扱った章では、「速読 (フォトリーディング) する技がある」「繰り返し読むという方法もある」「完全に理解できるまで先に読み進めないという方法もある」「完全に理解することをあきらめてどんどん読み進めるという手もある」などと書かれています。どういう本に対してどういう選択肢を取るかは読者にゆだねられます。

僕は「何も言っていないに等しいのではないか」と感じました。

一事が万事、このような感じで議論が進められており、良く言えば「多方面からの意見を拾っている」ものの、読者としては「結局のところ、どうすればいいんだ?」と思わされました。

「はじめに」の節には次のようにあります。

私は … 業務の一環として、京都大学サマーデザインスクールで、考えを整理してアウトプットする方法のワークショップを行ったり、首都大学東京の非常勤講師として、大学生に研究によって新たな知識を生み出すことについて教えたりしてきました。しかし、限られた時間では伝えたいことが伝えきれません。参考書を紹介しても、たくさん紹介したのでは全部は読んでもらえません。私の伝えたいことが1冊にまとまった本が欲しいです。

この取り組みは、ある種の成功を収めていると言えます。つまり、本書の中では「Getting Things Done」や「ポモドーロ・テクニック」、「フォトリーディング」や「KJ 法」など、それだけで一冊の本が書ける (実際に書かれている) 内容がごった煮されています。

しかし、どのトピックも表面的にしか触れられておらず、たとえば「明日からはこういう方法を試してみよう」と思えることはありませんでした。

まとめ

『エンジニアの知的生産術 ―効率的に学び、整理し、アウトプットする』を読むことで知的生産性を向上できる人は限られているように感じました。

なお、この本のレビュワーの方からも 「で、どうしたらよいの?」がわからない という意見があったそうです。これに対して、著者は次のように答えています。

材料がそろっていないと、結合は起きません。「地」は経験です。本書を読んでしっくりこなかったなら、今回は残念ながら材料が足りなかったようです。でも大丈夫です。経験は日々あなたの中に蓄積されていくので、いつか「あ、これか」とつながるときが来るでしょう。半年経ってからまた読みなおしてみてください。きっと何かが変わるでしょう。